道徳の授業作り(1) 

授業の積み上げしかない。考え方は実践から生みだされる。(プリントアウト用です。)

NO.1 心のノートの利用
NO.2 道徳的実践力の育成
NO.3 授業の実際
NO.4 導入の扱い
NO.5 展開の扱い
NO.6 終末の扱い
NO.7 資料選択
NO.8 板書の構造化
NO.9 体験を生かす

 NO.をクリックしてください。

                                                                

NO.1 〜心のノートの利用〜
さて、今どのような道徳の時間を行っておられるでしょうか?テレビを利用しての授業、資料を元に行われる授業いろいろありますが、テレビを見たり、資料を読んだりするだけは、こちらの意図する道徳性が高まるとは、限りません。授業の中で、立ち止まり、自分を見つめ、振り返り、よりよく生きようとする生き方を目指さなければなりません。
心のノートは、主題に対する興味・関心を高め学習への意欲を高めることができ、副読本などの内容や道徳的価値についての理解を深めたり、学習した内容をまとめたり、考えを整理したりすることの助けになります。また、子どもが道徳の時間の学習を継続的に振り返ることができ、また自らの心の成長を記録することができように作成されています。まず、この「こころのノート」を確実に使っていきたいと思います。授業の中で書かせることもできます。また、朝のタイムや帰りの会などを利用して書かせることもできます。道徳的な価値をつかみ、実践できるようにうまく利用したいものです.

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NO.2 〜道徳的実践力の育成〜
道徳的な価値をつかむことができても、実際に生活の中で生かして生活できるようになるまでにはかなりのエネルギーが必要です。道徳の時間には、そのエネルギーを養う時間になります。これが、道徳的実践力です。エネルギーとは力です。 特に低学年では基本的な生活習慣や善悪の判断,社会生活上のルールを身に付けること,中学年では自主性,協力し助け合う態度を育てること,高学年では自立心,国家・社会の一員としての自覚を育てることが、力となります。
 社会に適応する低学年、社会の中で自分を生かす中学年、社会を創る高学年・・・・・そのための道徳的実践力です。
 授業では、自分のこととしてとらえていくことはどの学年でも必要です。他人事にしないための授業の扱いをするための授業の構造を考えていきたと思います。
 そのためには、授業の中で「今の自分に気づく」「よりよい生き方に気づく」「よりよい生き方をするための努力の仕方を明確にする」・・・この3点がはっきりしている授業を作ることが大切です。資料中心に授業が行われていると思いますが、資料の中だけで授業が進んでいると自分を見つめる機会としては弱くなります。実生活に生かすだけのエネルギーにはなりにくいものです。自分から離れた他人事にしないためにも、ぜひこの3つを生かした授業作りに取り組んでいただきたいと思います。
 特に,高学年においては,悩みや心の揺れ,葛藤等の課題を積極的に取り上げ,考えを深められるよう指導を工夫することが重要です。主人公の心情を探れば、子どもの心の中が見えてきます。しかし、心を出させるだけでは、力はつきません。教師の働きかけによって力にすることができるのです。
 低中高と学年によって授業の仕組み方は異なってきます。それぞれの子どもの実態に合わせてどんな授業がよいかを考えたいものです。

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NO.3 〜授業の実際〜
子ども自身がどのように生きればよいのかを考えることが大事なのですから,教えてできるものではないので当然です。
よりよい生き方に気づかせることにはかなり精力を尽くされる授業は、よく見かけます。
 その阻害要因も一人一人違います。価値が分かっていても価値に向かう生き方が違ってきます。
例えば、毎日の清掃活動でいえば、「学校を綺麗にし、すごしやすい環境を作ること」がねらうところです。これに関わって道徳では,勤労や公共心などの価値を扱い,「はたらくことは大
切であること」や「みんなのものを大切にすること」などを学習します。
しかし,はたらくことが大切だと分かってもできない(やらない)現実があり,ここに個々の違いが見えてきます。
  「楽しくない。」「やると疲れる。」「友だちも遊んでいるから。」などできない理由がいろいろ考えられます。
 これらを理由にする子どもが「はたらくことは大切だから,一生懸命にがんばろう」という学習をしたからはたらくとは限りません。
 楽しくない子には,きれいにした充実感を味わわせることが大事なのかもしれません。やると疲れるという子には我慢することの大切さに気づかせることが大事かもしれません。友だちの姿につられる子には,自分で考えて行動することの素晴らしさを実感させることが大事かもしれません。
 「気持ちがよくなるように働いてみよう。」「ちょっと我慢してみよう。」「自分で考えてやってみよう。」などと個々に取り組みの見通しが持てるところまで扱わなければ実践には結びつきません。実践力を身につけるにはここまで扱わなければなりません。
具体的な働く場面の一つに掃除があります。掃除を通して道徳的実践力が生きてはたらくかを見届け,支援することで,子どもの道徳性が高まっていきます。

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NO.4 〜導入の扱い〜
視点を明確にするために「〜についての生活経験」を子どもたちから出させることが多いようです。 この場合,ただ出せばよいというのではなく,これから始まる資料読み(ビデオ鑑賞,活動)のねらいに迫る視点が明確になるようにすることが大事になります。生活経験を出させることは,自分の日頃の立場が明確になります。「こんな時にどうするのか?」が人によって異なります。ですから,教師は,実態をつかむこともここでできます。また,実際の動きとは異なっていても対処の仕方にいろいろあることを子どもたちが知ることも大きな収穫です。その様々な対処の仕方を知った上で,これから始まる資料読み(ビデオ鑑賞,活動)に取りかかるのです。そうすることで,ちょっと離れて主人公(主体者)の生き方を見つめることができます。(ちょっと離れたというのは,必ず自分らしさが出るということです。自分にないところでものを見ることはできませんから・・・・)

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NO.5 〜展開の扱い〜
視導入で視点を持っていよいよ授業の展開に入ります。ここで体験活動を行う場合であれば別ですが,多くの場合,自分からちょっと離れた第三者が主人公になっています。この主人公の生き方を通して,自分を見つめ,よりよい生き方に気づかせていく大事な時間となります。離れて客観的に見られるかというとそうではなく,やはり自分の目から主人公を見ているのです。ここで,主人公の生き方というのは,何を大切に生きているのか,どのような過程でそのような生き方ができるようになっていくのかを学ぶ機会になります。
よくあるのは,主人公の気持ちを時間の経過で追っていく授業です。一つ間違うと国語の読みとどこが違うのかわからない授業です。これでは,道徳的な価値に迫るまでにはなかなかいきません。主人公の生きざまをきちんとつかむことは気持ちを読み取るだけでは,見えてきません。なぜそんな行動をするのかというその裏にある道徳的な価値や阻害要因をきちんと浮き彫りにしなくてはなりません。 阻害要因は価値に迫るためにうまれてくるのですから,まずは道徳的な価値をつかむことが大事になります。資料(ビデオ等を含む)にもよりますが,価値がはっきり見える資料とない資料があります。私は,価値がはっきりと見える資料をお薦めします。
 価値をつかむために資料の中から素晴らしさ(よさみつけ)をしますが,ここで役立つのが導入での扱いです。視点が明確になっていれば,わりと早く主人公のよさに気づきますが,視点が明確になっていなければ,主人公の行動のよさがバラバラと出てきます。本時ねらう価値に迫るためには,これを整理しなければなりません。余分に時間がかかります。ですから,導入での扱いが大事なのです。
 そして,阻害要因を扱います。誰しも道徳的価値が分かっていてもできない葛藤に悩みます。それがわかるように多くの資料は作られていますから,子どもたちも資料の中の主人公に共感できます。そういう場を取りあげ,どのように乗り越えていったのかやいくのかを学ぶのです。実生活とかならずしも結びつかないこともあります。そこで,君のいうことは実生活とはちがうなんて言わないで十分資料の中で解決をしていくのです。これを実生活に当てはめていくのは,終末での学習になります。ここではあわてないでじっくりと資料で考えていくのです。

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NO.6 〜ノートには書いてあるのに発表では書いてある一部のことしか言わない子〜
授業の展開で,扱った価値とその価値へ迫るための生き方を現在の自分の生き方とつなぐ一番大事な場面がこの終末です。現在の自分の生き方に生かして,初めて今日の学習の価値が生まれてきます。ここは,自分を振り返るよい機会です。とても重要です。大切にしたい場面です。時間の経過とともに流れている私たちです。止まるきっかけを作ることで,「これでいいか。」「もっと素晴らしい生き方はないか。」「自分でできることはないか。」「こうすれば,できそだ。」などと自分に取り入れる芽を持つのです。
 なかなか自分を学級全体の中にさらけ出すということは勇気がいることです。それをすることはなかなかできません。
 そこで,導入部分に扱った事例を利用し,展開部分での主人公の生き方から学んだ内容を生かし,一般的な扱いをしながら,どうすると価値に迫れる生き方なのかを学級全体で考えていることがベターかと思います。そして,その考え方を元にし,自分の生活を自分で見つめ直すのです。教師の説話などを用いて終末を終える授業をよく見ます。意欲付けとしては,とても大切です。しかし,意欲だけでは,なかなか道徳的実践力にはつながりません。やはり,「どのように」という取り組み方まで明確にしなければ,行動にはなかなかなりません。そこまで,扱いたいと思います。
 大事なことは,この見届けになります。終末で扱った自分見つめが生きていくためには,忘れずに残しておくことが大事です。ときどき振り返って自分を見つめる機会にもなります。ですから,道徳ノートや心のノートの活用が重要になります。また,例えば,終末で扱った内容を振り返る機会として,朝のタイムや帰りの会など日常の生活に位置づけておくと効果的です。教室に道徳コーナーなどを設けることも子どもの振り返りを促すことになります。
 とにかく,道徳の授業の終末は,日常生活とつなぐパイプ役になっていますので,道徳の授業をやりっぱなしにしないで,日常生活とのつながりを意識しながら終末を作っていくことを心がけることが重要だと思います。

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NO.7 〜資料選択〜

授業の命ともいうべき、資料をどのように選んでおられますか?子どもの実態に合ったとか、子どもの心に落ちる資料とか、いろいろ言われますが、実際には毎週適切な資料が選べるわけではありません。ただ、はっきりしていることは、ねらう価値が行動となって現れている資料は、扱いやすいということです。
 心が育てば、必ず行動が変わってきます。これは、私たちの生き方そのものです。綺麗ごとに終わらないで、山あり谷ありの人生です。その一コマを資料として扱っているのです。そんな資料だと、出てくる主人公の生き様に共感できるのです。自分と同化し、生き方として見えてくるのです。だから扱いやすいのです。     よく、道徳の授業をするときに、資料に惚れよと言われます。これはまさにこのことなのです。ですから、生き方の節目節目を大切にしたいのです。その節目が授業で扱う場面になります。それが分かりやすい資料だと、よりよい生き方を目指す子どもであれば、必ずそこに引っかかってきます。「なぜ、そうするのだろう。」「あの場面の気持ちがわからない。」「これは、すばらしい。」などと思うのです。(よく授業の中で教師が「話し合いたい所に線を引きましょう。」などと指示をします。線を引いたところが、ばらつかず価値が見えてくる子どもが増えればしめたものです。生き方として見えていないと線を引かせてもばらばらになり収集が大変です。)

 そこで、私は、3つのWが見つかる資料を薦めます。
 その1 日ごろの主人公の生き方を問う Why 「なぜ、こんな行動をするのだろう?(日ごろ何を考えているのか)」
 その2 めざす価値を問うWhy  「なぜ、こんな行動をしようとしたのか?その心は?(何を大切にしているのか)」
 その3 価値に迫るための葛藤を問う Why「なぜ、こんな行動ができたのだろう?(どう乗り越えようとしたのか)」

  この3つのWは、資料を扱う場合の中心発問になります。これが見つかりやすい資料は扱いやすいのです。これが練られていないと、こどもが目指すところが見えにくくなり、とんでもない発言を生むことがあります。そして、価値に迫るまでに時間がかかったり、終末が適当になったりします。
 ですからやっぱり、資料は命なのです。(資料を選択しようとするところに目が向くだけでも授業が変わっていきます。)

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NO.8 〜板書の構造化〜 
 道徳の授業で板書はとても重要です。私たちはよりよく生きてこうとするときいろいろな困難にぶつかります。その困難をどのように克服していけばよいか指針を子どもたちに示すことができるのが板書です。よく見かける板書は,時間の経過とともに移り変わる心の変化を記録している板書です。これでは,何を大切い生きていけばよいのかも分かりませんし,障害をどのように克服すればよいのかもわかりません。国語の板書とは違うのです。変化の裏にある道徳性を問題にし,深めていくことで自分の問題としてとらえることができるのです。ですから,時間の経過に合わせて気持ちを出させていくだけでは,道徳の板書にはなりません。
構造化するということは,子どもの発言をそのまま板書するということではなく,その発言の中に隠れている価値とか要素をきちんと整理して板書として位置づけることになります。価値にせまるためには,こんな阻害要因があり,こんな克服の仕方があるのだと分かるように整理することが重要になるのです。板書でそれが分かると自分は今どんな状態なのか,どのように頑張ればよりよい生き方ができるのかを冷静に見つめる機会ができます。
それでは,どのような板書がよいのでしょう?
次の内容が含まれる板書が必要だと思います。
 1,本時ねらう価値が示されている。
  何を大切に生きていけばよいのかが見える授業にしなければなりません。
 2,価値に迫るための阻害要因が示されている。
  その価値に迫る難しさがあることに気づく授業にしなければなりなせん。
 3,克服するための方策が示されている。
  どんな努力をすれば克服できるのかが見える授業にしなければなりません。
今日,道徳的実践力を大切にした授業が求められています。ですから,この3つのうち一つでも欠くことはできません。価値に迫るだけで1時間かかってしまう授業ではいけません。どのように授業を仕組むとうまくこの3つの内容が含まれる授業になるのか,その探求が必要です。私個人としては,まず価値を授業の展開部の早い時間につかませていくことで構造的な板書ができると考えています。
 ここでは,展開部の大まかなとらえを述べました。導入部では,この展開部を生かすために,何を板書すればよいかを考えます。一番多いのは,価値に関わる実態だと思います。
 終末部では,導入部や展開部の板書を生かしながら自分を資料から離れて客観的に見ることになるので,個々の取り組み方や障害の乗り越え方が記録されるとよいと思います。

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NO.9 〜体験を生かす〜
 道徳の指導要領において,指導の取り扱いにおいて「ボランティア活動や自然体験活動などの体験活動を生かすなど多様な指導の工夫,魅力的な教材の開発や活用などを通して,児童の発達段階や特性を考慮した創意工夫ある指導を行うこと。」と明記されています。従来の資料中心の授業からの脱却をねらっているものです。本校においても,ボランティア活動や自然体験の活動がおこなわれています。
 例えば,現在おこなわれている生活や総合の時間における自然体験活動,飼育活動,福祉体験,ボランティア清掃活動などがそれに当たります。これを体験だけにするのではなく,その中で培われる心の部分を全面に出して,道徳の授業として生かしていくことが今求められている「体験を生かした道徳の授業」だと思います。
 では,どのように扱うと道徳の授業として成立できるかということです。資料を扱う時は,主人公などの思いを語らせることで,自分を表出させます。しかし,体験の場合は,体験中の行動そのものや体験を通して得た思いなどから道徳として何を扱えばよいかが見えてきます。体験を始める前に価値を示すことは,活動のねらいを明確にする上でも重要になります。体験中の子どもの様子を観察するときっとその子の心のあり方が見えてきます。喜んで活動する子,いやいや活動する子など様々です。できるできない姿として見るのではなく,これを道徳的な価値や阻害要因など道徳の授業を構成する心のあり方として子どもの姿を見てみると道徳の授業の構成が見えてきます。体験をしたあとに子どもに感想を書かせることがあると思います。これを生かすことは,子どもの心を探る上でとても重要だと思います。例えば,自然体験ならば,「生命尊重」,福祉体験ならば「思いやり,親切」,ボランティア清掃ならば「愛校心」などという価値が浮かんできます。子どもたちの感想をこれらの視点から見てみると何が不足しているのか,何を指導しなければならないのかが見えてきます。これを掘り下げることが道徳の授業を作ることになります。
 授業の入り口は,この活動を扱うことになります。そして,心の持ち方を話題にします。活動だけを扱うと出口が広がりません。価値から見つめ直すことが,授業の展開につながります。例えば,ボランティア掃除をどうするかという活動にとどまらず,愛校心から自分を見つめることです。その価値から見たとき,自分の行動や心を見つめさせます。
 「阻害要因は何か?」「乗り越えるには何が必要か?」などを扱うことで価値にせまる生き方が見えてきます。これが授業の展開部になります。
 そして,授業の終末では,価値から活動を見ることで,環境だけでなく,文化や校風などに目を向けさせることもできます。そうすれば,活動としての広がりを持つことができます。道徳的実践力は,こうした道徳的な価値に裏打ちされた行動にしていくための営みによって育っていくのだと思います。


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