道徳の授業作り(2) 

NO.1 発問
NO.2 役割演技
NO.3 説話
NO.4 道徳コーナー
NO.5 道徳ノート
NO.6 道徳授業実践を確実に

 NO.をクリックしてください。

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NO.1 〜発問〜
 道徳の授業において,質が高まるかどうかは教師の発問が大きな影響を与えます。日頃から発問にこだわっていると段々と変わってきます。
 「このとき、どんな気持ちだろう。」・・・・・・よく使われる発問です。
 でも、これは、広がりのある発問です。どんな気持ちであろうと捉え方によって様々な反応が返ってきます。間違いはないので、どんな思いでも認められていきます。価値観がいろいろ出て、広がってしまいねらう価値にはなかなか迫れません。この場合、この場面で大切にしたい思いに立たせるために、切り替えしの発問が必要となります。
状況を正確に理解させたり、より主人公の立場に立たせたりさせるための切り替えしが必要となってしまいます。
 これを扱っているとかなり時間が取られますし、時には、話題がずれてしまい何を大切にしようとしているのかわからなくなることもあります。ですから広がりのある思いを出させる場面は、ある程度限定して授業を進めないと時間ばかりとられます。

 本時ねらう価値に迫るためには、「なぜ?」が必要です。
 行動の裏に隠れている大切にしたい価値に迫るためには、この「なぜ?」が必要となります。
「〜すればいいのに、なぜ〜するのかな?」・・・・これです。
 単に、なぜかな?ではなく、条件をつけた「なぜ?」にするのが秘訣です。こうすれば、かなり絞り込めます。
 「〜すればいいのに」には、すでに価値が存在します。それを越える「なぜ?」なのです。ですから、目指す方向が明確になっていきます。
1時間の授業の中に、何箇所かこういう発問をする機会があります。
・主人公の普段の生き方に気づかせるときの「なぜ」
・主人公の大切な価値にせまるときの「なぜ」
・主人公が価値にせまるために乗り越えようとするときの「なぜ」

この3つを意図的に使うと、本時のねらいにせまる授業が出来上がります。
 そして、あとは、資料から離れて自分の生活に向けさせる発問が必要です。
主人公と比べたり、今の自分とこれからの自分をつないだりする発問です。
 機関銃のようにたくさん教師が話しても深まりません。じっくりと生き方を見つめさせる時間にしなければなりません。そのためにも発問は吟味し、じっくりと自分を見つめさせていきたいものです。

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NO.2 〜役割演技〜
 低学年では,よく役割演技を利用して,学習を進めることがあります。これは,動作化とは違います。動作化は,動作に表すことによって,ものごとの理解を深める場合によく利用します。例えば,「たんぽぽのちえ」で「しぼむ」と「すぼむ」という似た言葉が出てきます。そのとき「すぼむ」を理解するとき,手を利用して説明するとよく分かります。これは動作化です。考えが収束します。
 役割演技は,役割を演じるのですが,演じ方は,こうしなければならないというものではありません。考え(思い)が広がります。
 低学年の子どもたちは,自分の言葉で自分の気持ちをうまく伝えることができないことが多くあります。そこで,言葉の代わりに演技を使って自分の気持ちを伝えるのです。これが,役割演技です。
 ですから,どう演じるかということ(形)ではないのです。重要なのは,その演ずる者の気持ちがつかめるかということです。
 ですから,演じる側よりも見る側がとても大事になります。演ずる者の動きのどこに気持ちが現れているのか,それを探しだし,それを見させないと演技をさせるだけになってしまいます。
 私がお世話になったある先輩は,授業のなかで怒りが握りこぶしに現れた姿を子どもたちに見させられました。つまり,「手を強く握っている○○さんの気持ち」なのです。
 気持ちが現れるのは,顔だけではありません。いろいろなしぐさのなかに現れてくるものです。それを授業の中で見つけることは,難しいものです。日頃から子どもの行動をよく観察し,行動の裏にある気持ちを探る努力をしていると割と見つけやすくなるものです。
 表し方には個性があります。どの子も同じように反応するわけではありません。逆にここが面白いところかもしれません。
 役割演技を授業のどの場面で扱うとよいかも,経験が必要です。また,演技する側が恥ずかしがらないで,素直に自分を表現できるようにしておくためにも演技をする経験を増やしておく必要があります。特に次の3点について日頃から意識させていくとよいと思います。
 ・役割演技には,間違いがない。
 ・役割演技には,うまいとかへたはない。
 ・役割演技には,気持ちが必ず現れる。

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NO.3 〜説話〜

授業の終末に教師の説話をすることがよくあります。ここでは,どんな話をされますか。もちろん本時の価値に関わる説話になることは当然だと思います。
 ここは,教師の生き方を示す場にもなります。実際の話は,自分の体験であったり,素晴らしいと感じた人(子ども)の話であったり様々です。しかし,その裏にある教師の考えは,はっきりしています。何をどう見ているのか,考えているのか,そういう見方考え方が現れてきます。
 私たち教師も,人間であり,完璧ではありません。素晴らしいことばかりを言っても,なかなか子どもたちに伝わらないものです。その話の中に生き方が出てくると子どもたちの心に伝わります。よりよい生き方を先生もしているよ。求めているよ。そういう姿が子どもたちに映るのです。 

本時取りあげた価値について,時間に流されている私たちですから,じっくりと見つめ直す機会はなかなかありません。説話は,そういう私たち教師の自分見つめの時間にもなります。
 そこで,どんな内容がよいかを決める視点が明確になるとよいと思います。子どもが次の思いになるような視点が大事だと思います。

 ・私たちのくらしの中にもそう言えばそういうことあるなあ。
 ・先生でも悩んだり,失敗したりするんだなあ。
 ・よりよく生きようと努力すれば,いいんだなあ。
 ・私もがんばればできるかもしれないなあ。


人の生き方に高い低いはありません。子どもであっても私たち大人であっても,一人一人の人生です。「いかに生きるか。」は,生きている私たちすべての人間の永遠の課題です。生き方を語る教師であれば,子どもも生き方を学ぶことができます。いろいろな先生からいろいろな生き方を学び,選択の目を広げてやりたいものです。

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NO.4 〜道徳コーナー〜
  授業については,一応前回までの11回のシリーズで終わりにしたいと思います。まだまだ切り込み口はあると思いますが,私なりに伝えたい内容はある程度伝えられたと思っています。道徳の授業作りは実践を積み上げないとなかなか身に付いてきません。また,子どもにとっても,「道徳では,こんなことをするんだ。」という見通しが持てると授業への取り組みも違ってきます。是非,実践の積み上げをお願いします。
 道徳の授業で行った内容がすぐに,実践につながるとはなかなかいえません。そのつなぎが必要になります。つまり,自分の生き方をを見つめる時間が道徳の授業以外にも必要なのです。朝のタイムや帰りの会,日頃の授業の終わりなど,振り返りを毎日の生活のどこかで作ることが効果を生みます。振り返る場がないため,せっかく道徳で意欲を高めても意識が残らず,消えてしまうことがあります。 「授業は授業」,「生活は生活」となっては道徳性も育ちません。それこそ,本音とたて前を作るだけです。
 意識を消さないための1つの方法は,教室の掲示だと考えています。扱った価値や具体的に頑張っている姿などを紹介するコーナーを設けると,子どもたちの道徳の授業で扱った価値が生きてきます。日常の会話の中に「それは,道徳で勉強したことだ。」「道徳で勉強したから,ちゃんとやらないと・・・・・・。」などという言葉が聞かれるようになってくることが実践の成果の第一歩だと思います。当然教師側も道徳で扱った内容については,意図的にいろいろな場で取りあげることが必要です。(道徳教育は,全教育課程の中で行われるというのはこのことです。)
 日頃の生活に追われている私たちですが,授業の充実が必ず生活に結びついてきます。先生方の実践は,必ず今後の子どもたちの生活の変化に現れてきます。行事もあり,忙しさを感じて毎日を過ごされていることと思いますが,それに流されないで来年につながる今を大事にしたいものです。宜しくお願いします。

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NO.5 〜道徳ノート〜
 初に「心のノート」の話をしました。大変工夫されて作られたノートですが,私はやはり個々が自分の言葉で,自分を語っていくことができる「道徳ノート」の利用が必要ではないかと思っています。「心のノート」は,いろいろな価値を並べ,生活と結びつけるように工夫されており,見ていても楽しいものに仕上げてあります。しかし,自分の生活をじっくり眺め,自分の生き方を見ていると大事にしている価値は並列ではありません。また,大切にした価値はいろいろありますが,すでに身につけている価値についてじっくり見つめることはあまりしません。そして,自分を見つめ,書き記していくと,自分が大切だと思うことにこだわって私たちは生きていることに気づくはずです。気になる価値が出てくるとその目が広がってきます。そういう足跡を残していくことが自分の生き方を見つめていくことになると思います。
 道徳教育は,自分の生き方を見つめる教育だと思います。そして,よりよく生きようとする自分を作ることだと思います。それは,何か本を読むように「心のノート」を見ることではないように思います。白紙の紙に自分を描き出していく作業が生き方を見つめることになると思います。
子どもに日記を書かせることがありますが,日記は自分を見つめるよい機会だと考えています。出来事が中心の日記をよく見かけますが,これはもったいないと思います。できるだけ早く出来事から脱却し,出来事の中に潜む自分の生き方に目を向けさせるように指導を加えることがポイントだと思います。私が考えている「道徳ノート」は,最終的にはこの日記になっていくことだと考えています。
 人が何を言おうと,自分のために自分が作るノートです。ですから,これが日常化していくことが重要になるのです。「心のノート」がなくても,自分を見つめる機会を作れる自分。そういう自分を作れるような指導を日頃から心がけることだと思います。
 そのためには,まず自分を見つめることに慣れさせることが重要になります。

 1,道徳の授業を行い,揺れる自分を見つめる。
 2,生活の中から,揺れる自分を探す。
 3,揺れる場面を記録する。
 4,記録を増やす。(揺れた数を増やす)
 5,揺れる場面を見つめる。(「したいこと」と「しなければならないこと」)
 6,揺れたときに何を考え,どうしたのかを記録する。
 7,記録の回数を増やす。(日常化すれば,日記となる。)

 

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NO.6 〜道徳授業を確実に〜
 本当にいろいろな子がいます。具体的な場面での指導に翻弄されてしまいがちな毎日を送っておられると思いますが,その一つ一つの出来事の扱いは,全て道徳教育そのものだと思います。しかし,これも集団の質を高めないと「もぐらたたき」になります。もぐらたたきにならず,学級集団の質を高めるきっかけが,道徳の時間だと思います。
 生活に流され,自分自身を見失いがちな日々を過ごしていないか,今の自分によくなりたいと願う気持ちはないのか,よくなりたいという気持ちがあってもできないのは,なぜなのか,など私たちの生き方そのものを問う時間になります。
 道徳の時間には,子どもの心が現れます。子どもを理解し,子どもを育てるためには,欠くことができない時間だと思います。小手先に技術で子どもを育てることはできません。子どもの心の中をよく見つめ,その子らしい見方や考え方を発見すれば,指導の仕方も変わってきます。
 3学期に飛び入りで,2年生,4年生の道徳の授業をさせてもらいました。子どもたちは,飛び入りの私にでも,心を開いてくれる子が多くいました。どの子もよりよく生きたいと考えています。よりよく生きたいと思っている子どもたちが迷ったり,悩んだりするのです。どの子も本当はよりよく生きたいと考えています。しかし,環境によってそれが見えにくくなっているのだと思います。
 人のせいにする子が多い世の中です。「人がそうするそうする」,「人がそういうからそういう」とか,「言い訳をしてその場を逃れようとする」のではなく,どんなことでも自分の最後の決断で自分の行動を決めていることに気づかせ,自分の行動に責任を持つ人間に育ってもらいたいものです。これは,先生方の実践にかかっています。よろしくお願いします。

  

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