*子どもから学ぶ 

子どもから学ぶ・・・とても格好いい言葉である。しかし、本当に子どもから学んでいるのだろうか?

小手先でこの言葉を使っていることはないだろうか?

 子どもよりも経験が豊富で豊かな体験を持っている教師が子どもから学ぶということはいったいどういうことなのだろう?


   考えたい

 誰もが完璧ではない、必ず足らないところがある。年齢とは無関係である。大人になれば純粋さを失い、子どものもつ鋭さを見失ってしまうこともある。自分の価値観に固執するため他のものが見えなくなることもある。

 教師が子どもと接するときに、真摯に子どもから学ぶためには自分という人間をさらけ出して真剣勝負しなければならない。単なる教材研究不足なのか、それとも実態把握の甘さなのか、そういうレベルの問題ではない。生き方そのものを問われているのである。

 だから精一杯さの中で子どもに自分をぶつける。

逆にそういう教師の姿勢を見て、子どももその気になる(させる)ことで、教師の生き方に呼応する子どもになってくる。お互いの生き方を問うている瞬間である。

 その結果、子どもから学んだという一瞬はある意味では敗北である。逆にこの一瞬は、教師を乗り越える子どもに出会えた感動の一瞬なのだ。いや、ここは「感動する」しかない。そして、この感動を子どもたちにも伝えたいという気持ちが子どもを育てるエネルギーになる。


「なぜ自分の考えを話さないの?」「なぜ友達を大事にしないの?」「なぜあなたはもっと自分を大事にしないの?」と子どもに問いたいとき、私の中にはその子どもから「何かを学びたい」という心のうずきがある。

           

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