よさと可能性 

新しい学力観に立った指導の中で今大事にされているのが「よさ」と「可能性」を伸ばすこと。

  「よさ」といわれるが、何をよさとして捉えればよいのだろう。

 私たちが素敵だなあとあこがれたり、素晴らしいなあと感動したりする子どもの姿がきっとよさになる。また、頑張らせたいとか、この面を伸ばしてあげたいという子どもへの願いは可能性になる。

 よく子どもたちによさ見つけをさせますが、本当によさみつけになっているのだろうか?

 よさは集団の中で発揮される。その子らしさは、他と比べたり、成果として現れたりする。それをまず教師がきちんと見て感動できないと、子どもにうそだと見抜かれる。本気になって見つけないといけません。

 まずは、教師が見本となって見つけること。そして、ここで気をつけなければならないことは、行動と意識をつなぐ


 よさや可能性となるもの 

学 習 場 面

生 活 場 面

学習内容に関わるもの

道徳性に関わるもの

学習姿勢(学び方)に関わるもの

生活習慣や生活態度に関わるもの

学習意欲に関わるもの

活動への参加に関わるもの

創造性に関わるもの

創造性に関わるもの



 なぜよさ見つけをするのか

 「友達のよさをみつけましょう。」というなげかけは簡単な言葉である。子どもたちも言われればそれをする。しかしそうではない。見つけられることの中に素晴らしい生き方がある。
・見つけられるよさがある。
 (よさとして見られない子もいる・・・見えないものは見えない)
・見つけることで自分の生き方を見つめる機会ができる。
・見つけることで自分の課題ができる。
・仲間の生き方にあこがれを持つ(自分も頑張りたくなる)ことができる。

 見つけることが自分にとってプラスになることを伝えなければ、言われないとできない子どもになる。

 よさ見つけができることを誉める
 友達に見えないものが君には見えるんだ。
 すごいと思って見つけられることが素晴らしい。
 友達の生き方をよく見ているからできるんだ。
 共によく生きようとしているから見えるんだ。

 子どものよさをつなげば、授業や生活がよりよく、より豊かになる。一方的に教えることが多くなるとすれば、それはよさを発見する努力とゆとりがないから。なぜよさなのかをきちんと説明し、納得したり共感したりすることが大事。 「素晴らしい」の連続では広がらない。


 
                         

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